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大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)1347号 判決 1990年8月03日

原告

田上綱彦

右訴訟代理人弁護士

鎌倉利行

檜垣誠次

畑良武

山本次郎

西村眞悟

富田康正

持田明広

被告

学校法人大阪工大摂南大学

右代表者理事長

藤田進

右訴訟代理人弁護士

亀田得治

中藤幸太郎

熊谷尚之

高島照夫

大久保純一郎

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  原告が被告に対し、雇用契約上の地位を有することを確認する。

二  被告は原告に対し、昭和五九年八月一日以降、毎月金四六万八九八〇円の金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いのない事実

原告は被告により昭和三六年五月一日事務職員として雇用され(以下、本件雇用契約という)、同五一年四月一日事務局長職に補されたが、次記被告常務理事就任の際同職を辞任した。また、原告は同四一年八月被告理事に、同五七年八月一日同常務理事に選任されたが、同五九年七月三一日常務理事の任期は満了した。被告は同年一〇月二六日原告に対し理事を解任した。

二  主たる争点

原告は、被告理事退任後は、本件雇用契約に基づく被告事務職員としての地位を有すると主張し、原告に対し本件雇用契約に基づく雇用契約上の地位確認と同五九年八月一日以降の未払賃金の支払いを求めた。

被告は、原告が同五七年八月一日被告常務理事に就任した際、原告との間で本件雇用契約を合意解約(以下、本件合意解約という)したと反論した。

第三争点に対する判断

一  本件合意解約の成否

1  原告の常務理事就任までの経緯等

前記争いのない事実と証拠(<証拠略>)、弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 原告は、被告の元理事長田上憲一の孫であり、昭和三六年被告に事務職員として雇用され、同五一年から事務局長(兼総務部長)、同五二年から参事(事務職員資格)に補された。他方、原告は同四一年から被告の理事に選任され、六期に渡り務めてきており、同五六年頃には常務理事就任と次期理事長就任の期待を抱いていた。ところが、当時被告では、藤田進が長期に渡り理事長として在職していたうえ、同年一一月には先に青井忠正前大阪工大学長(以下、青井という)が常務理事に就任した。

右状況の中で被告の藤田勇理事(以下、藤田理事という)は、原告やその支援者らが右人選等に不満を抱いており、原告が常務理事に就任すれば原告の利益にもなるうえ関係者も満足し、種々の意味で学内の混乱を避けられるものと判断し、同五七年六月二〇日、藤田進理事長(以下、理事長という)に対し、原告を常務理事に推薦して欲しい旨を提案し、同月三〇日には原告の常務理事就任意思の有無を樋口吾一評議員会議長(以下、樋口という)とともに打診してみたい旨を上申した。これに対し、理事長は賛否を明確にしなかったが、藤田理事らが原告の常務理事選任を勧めるのであればあえて反対しないとの態度をとった。

(2) そこで、藤田理事は樋口を介添役として同年七月六日夜八時頃から数時間に渡り、大阪市北区所在の割烹「芝苑」において原告と面談した。藤田理事らは原告に対し、次期理事長候補は原告と思っていること、理事長に一歩近ずくために一般職員でも勤まる仕事(事務局長)を後進に譲って専任の役員(常務理事)となり、理事長職を見習ってはどうかと勧めたが、原告は現在の事務局長の地位で十分である等と述べて平行線を辿った(原告が常務理事就任を躊躇したのは後記説示のとおり職員身分喪失の危惧感によるものと推認される)。しかし、最終段階に至り、藤田理事が原告に対し、原告の常務理事就任については理事長の承諾を得ていないが、就任意思があれば、明日、理事長に常務理事に就任したいこと等を上申するように勧めたところ、原告は「宜しくお願いします」と述べ、常務理事就任意思を明らかにした。

(3) そのため、藤田理事は理事長に対し、翌七日深夜、原告が事務局長を辞任して常務理事に就任することを承諾し、理事長に面会に行く予定なので会ってほしい旨を電話で連絡するとともに、同日朝、理事長に面談して右同様の報告を行った。ところが、同日、原告は理事長を訪れ、藤田理事らから事務局長を辞任し、常務理事就任を勧められたことを報告するとともに、事務局長と常務理事を兼務したい旨を述べた。これに対し、理事長は「特定人に権力が集中するという方式はとらない。藤田理事から原告が事務局長を辞任して常務理事に就任することを受諾したとの報告を受けているが、男としてそのとおり実行すべきではないのか」等と説得したところ、同月一二日に至り、原告は被告に対し、事務局長・参事の肩書で「昭和五一年から就任致しております事務局長の職は長期であり、また後進に道を開くために今回の役員改選を機会として辞任の件をお取り計らいいただきたく、この段お願い致します」との辞任届けを提出した。

(4) ところで、被告の組織規定は、理事のうち三名以内を常務理事とすることができること(四条一項)、その任免は理事会の議を経て評議員会の意見を聞き、理事長が行う(同条二項)旨を規定している。そこで、同月二〇日、被告理事会は「現事務局長の田上綱彦理事から、昭和五七年七月一二日付で事務局長の辞任願が出ているので、これを受理し、同月三一日付で事務局長を解任のうえ、八月一日付で常務理事に選任したい。なお、田上常務理事は八月一日付で学園の職員ではなく、特別職(役員)となる」との議案を全会一致で可決し(以下、本件決議という)、評議員会も同旨の理事長提案(但し、後段部分の説明はなかった)を了承した。そこで、同日、理事長は原告に対し、理事会の議場において、原告の「事務局長の辞任」と「常務理事選任」が承認されたこと、常務理事になれば職員の身分がなくなること等を告知した。

(5) 続いて、同月二一日、理事長は原告に対し、同年七月三一日付の事務局長解職及び同年八月一日付の常務理事任命の各辞令を交付したところ、原告は異議なくこれを受領し、「常務理事に御推挙いただきまして有難うございました。ご期待に沿うように充電して頑張ります」と挨拶した(職員の退職に関する辞令の交付はなかった)。ところが、同月二七日に至ると、原告は理事長に対し、後記2(1)認定の理事会議事録(松前健〔以下、松前という〕を常務理事に選出した際の議事録で原告も理事として捺印)のコピーを持参したうえ、原告の場合も右松前と同様に職員の身分を凍結して欲しい旨を申し入れた。これに対し、理事長は定年に近かった松前と原告とは事情が異なること、原告が真面目に勤務すれば継続して常務理事の地位を保持できること、理事会の前記決議を理事長が覆すことはできないとして右申入を拒否した。

(6) しかして、祐野尚三秘書室長は、同年七月末日までに本件決議の内容を記載した議事録の原稿を作成し、事務局長であった原告に呈示したところ(秘書室長が理事会開催日から一週間程度で同原稿を作成し、事務局長が事前にこれをチェックするのが従来からの慣行)、原告は特に異論を述べず、同年八月一日前記辞令のとおり常務理事に就任した。また、原告は同年九月一七日頃、本件決議に係る右理事会議事録に捺印した。

(7) その後、原告は、同五九年七月常務理事に再任されず、同年一〇月二六日には理事も解任された。

2  常務理事就任と職員身分

(1) 被告は、事務局長松前(昭和二五年一二月就任)を常務理事に選任した同四五年四月二五日の理事会において、同人の理事任期満了による常務理事退任の日(同四八年七月)から職員の定年による退職の日(同四九年三月)までの期間が約八か月と短かった関係で同人の便宜を図るため、「事務職員(参事)の身分を一時凍結しておいて将来もし常務理事を退いたときは、また元の職員に戻る。給与、退職金、私共済等待遇はそのまま継承し通算する」との決議を行い(原告も理事として議決に参加し右取扱を承認)、松前は同年四月三〇日事務局長を解職、同年五月一日常務理事に任命された(証拠略)。

(2) 被告は、教授が本務である青井を常務理事兼務に任命することを決議した同五六年一〇月三一日の理事会において、「工大教授として授業を担当し、教授会に出席するとともに、一一月一日付で常務理事に任命し、主として教学面の意見等を吸収していきたい」との決議を行い(原告も理事として議決に参加し右取扱を承認)、青井が常務理事に就任しても職員身分を保有する旨を明らかにした(<証拠略>)。

(3) 被告は、事務局長福田準を常務理事に選任した同六三年三月一四日の理事会において、「常務理事就任に伴う福田氏の身分は田上もと理事と同様に職員の身分ではなく特別職(役員)となる」との決議を行い、福田が常務理事就任により職員の地位を喪失する旨を明らかにした(<証拠略>)。

3  常務理事就任当時の原告の心境

原告は、常務理事就任時の自己の心境につき、角井五平次宛の同五七年一一月一五日付書面で、事務局長を就任し身分保障のない常務理事に就任したことを知人から叱責されたけれども、原告が反理事長派の立場である等の誤解を解くには二年の任期満了時に再任されない可能性もある常務理事就任を受諾するのが最善策と考えたためであること、理事長宛の同五八年三月二四日付書面で、藤田理事から同五七年夏に理事長の意向を確認したうえ、「事務局長就任」の話があったが、身分の不安を度外視し、理事長らを信頼していた旨を述べていることが認められ(<証拠略>)、右事実と前記1、2認定の事実及び弁論の全趣旨を総合すると、原告は事務局長を就任し、常務理事に就任することにより職員身分を喪失することを認識していたものと推認することができる。

4  右1ないし3の事実によれば、原告は常務理事就任に伴う職員身分に関する処遇は理事会決議によって決まることを熟知していたこと、理事会は昭和五七年七月二〇日、原告につき常務理事選任と職員身分喪失を内容とする本件決議を行い、直ちに理事長は原告に対し右を告知し、原告は同月二一日、常務理事任命と事務局長解職の各辞令を異議なく受領したこと、その後、同月二七日に至り、原告は理事長に対し、松前と同様に、事務職員(参事)の身分を一時凍結する旨の処置を希望したが拒否されたこと、原告は本件決議の議事録原案を事務局長として事前に承認したうえ、異議を唱えることなく同年八月一日付で常務理事に就任し、その後右議事録を承認・捺印していることが認められ、これらの事実を総合すると、原告は、理事会の本件決議のとおり、常務理事就任により職員身分を喪失することを認識しながら、同年七月二一日理事長から同年八月一日付の常務理事任命の辞令の交付を受け、同日付で常務理事に就任したのであるから、被告と本件雇用契約を同年七月末日限り合意解約したものと解するのが相当である。

5  原告は本件合意解約を否定し、職員の地位を保有する旨を主張するので、主要な点につき検討する。

(1) 評議員会の意見聴取手続

前記1(4)認定のとおり、被告は、「原告が学園の職員ではなく、特別職(役員)となる」ことにつき、理事会で決議し、評議員会の意見聴取、承認等はなされなかったけれども、そもそも理事長は「常務理事任免」につき評議員会の意見を聞けば足りるから、原告の「職員身分の喪失に関する事項」につき評議員会の意見を聴取しなかったとしても、何ら手続に瑕疵はないというべきである。

(2) 職員会の意見聴取手続

被告の寄付行為四七条二項は、職員の任免につき所属職員会の意見を聴取すべき旨を規定しているところ(<証拠略>)、原告の退職につき所属職員会の同手続を経由していないが(<人証略>)、従来、被告の職員の退職につき現実には右手続が履践されておらず、同項は死文化していることが認められ(<人証略>)、これに照らすと、同手続規定を経由していないことをもって、原告の退職を無効とすることはできない。

(3) 退職辞令の交付欠如

被告の任用規定は、職員の任用(採用、格付、昇任、降任、転任)を決定したときは直ちに本人に辞令を交付する(三条、一七条)と規定しているのに対し、退職については辞令交付に関する規定を欠くが(<証拠略>)、現実には職員が退職すると辞令を交付していることが認められる(<人証略>)。しかし、辞令の交付をもって退職の効力発生要件と解すべき証拠はないから、辞令の交付がないことを理由に原告が職員の地位を保有しているということはできない。

(4) 大阪工大学報の掲載内容

昭和五七年九月二五日付大阪工業大学学報には、原告の人事に関して「事務局長を解く。昭和五七年七月三一日」等と公示されているのみで、退職欄には何ら記載がないことが認められる(<人証略>)けれども、右学報に掲載されるのは形式的に辞令が交付された人事移動に関してのみであり、総ての人事に関することが掲載されるものではない(<人証略>)ことに照らすと、右掲載がないことによっては本件合意解約の存在を否定することは困難である。

(5) 退職金の不支給

被告の退職給与金規定は、専任職員で満三年以上勤続後退職した者に退職金を支給すること(三条)、その支払日は退職の日から二〇日以内に現金をもって支払うこと(八条)を規定しているのであるから(<証拠略>)、原告が職員の地位を喪失した場合には、特段の事情のない限り、右期間内に退職金が支給されるのが通常の事態の推移と考えられるところ、被告は原告が常務理事就任後の昭和五七年八月一日から二〇日を経過した後も職員退職金を支給しなかったことが認められる(<証拠・人証略>)。しかし、他方、被告の役員等慰労金規定は、専任の職員がその身分を保有して引き続き常勤する役員等に就任した場合には、退職金算定の期間を通算する(二条、三条)旨を規定しているが(<証拠略>)、職員を退職し役員等に就任した場合の取扱いについては規定を欠くため、理事長は、原告において常務理事就任により職員としての退職金の支払を受けるよりも、職員期間と常務理事就任期間の退職金を通算して算定した方が原告にとって有利であるとの判断から、同五七年七月二七日、原告に対し、<1>職員としての退職金を清算して支払うか、<2>右のとおり通算して支払うかの選択を求めたところ、原告が後者を選択したので、被告は退職給与金規定に基づく職員退職金を直ちに支払わなかったこと、その後、被告は原告が常務理事を解任された後である同五九年一〇月に職員退職金等を支払おうとしたが、原告は受領を拒否したこと等が認められる(<証拠略>)。

しかして、右事実を総合すると、被告が原告に対し、常務理事就任直後に職員退職金を支払わなかったことには合理性があるから、退職金が常務理事就任後二〇日以内に支給されなかったことをもって、合意解約による退職を否定することはできない。

(6) 職員番号の使用

原告は、被告に就職以来、職員番号「六一〇一三」が付され、常務理事就任後も変わりはなかったが、右職員番号は給与計算等の便宜上使用されていたものであり、理事長にも職員番号が付されていたのであるから(<証拠略>)、原告が常務理事就任後も職員番号に変更がなかったことをもって、職員の地位を保有するということはできない。

(7) 身分証明書

原告は就職後、被告から昭和五七年度まで毎年職員身分を証する身分証明書の発行を受けていたところ(<証拠略>)、「常務理事就任後の同五八年度にも従前のとおり身分証明書の発行を受けていたのであるから職員身分を保有している」旨供述するが、(証拠略)によれば、被告は原告の同五八年度身分証明書を発行していないことが明らかであるから、右供述は信用することができない。かえって、証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば、被告は、原告の同五八年度の身分証明書を発行せず、同五九年度の原告及び理事長の身分証明書を誤って発行した際も、直ちに返戻を求め、原告も異論を唱えず応じているのであるから、原、被告は原告の職員身分喪失を前提にしていたものと認められる。

(8) 他に本件合意解約の成立を覆すに足りる証拠はない。

二  よって、その余の点について判断するまでもなく、本訴請求は理由がない。

(裁判長裁判官 蒲原範明 裁判官 市村弘 裁判官 冨田一彦)

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